『づどう』 ~舞鶴いり江ビル
もともとは、祖父母が住んでいた住宅が建っていました。隣には、福岡ではとても有名な玄洋社があったといいます。この地を気に入り”すまい”を構えた祖父のこと、家の歴史、この地域周辺の歴史を調べる機会を持つことができました。地域に根ざす弊社にとって、とても意義ある仕事になりました。
祖父母が住んでいた住宅のスケッチ
敷地の隣には、『玄洋社跡』と書かれた石碑が建っています。玄洋社とは、明治維新のころから昭和にかけて、日本を牽引すべく全国的に活躍した人を多く輩出している結社です。箱田六輔氏、平岡浩太郎氏、進藤喜平太氏、杉山茂丸氏、中野正剛氏、広田弘毅氏、そして、頭山満氏などが集っていたそうです。祖父は、そんなこの場所を気に入り”すまい”を構えたそうです。
茶舗:いり江豊香園
茶舗・いり江豊香園
茶舗・いり江豊香園は、昭和22年、福岡・天神(旧因幡町商店街北通り)に入江央(なかば)(曽祖父)が創業しました。店舗はわずか15坪ほど。生活用品も食料品もまだ不足していた時代にあって、当時はなかなか手に入らなかった砂糖や菓子類、ロウソク、線香と言った雑貨類を販売していました。当時、菓子店は大変珍しく、明治、森永、グリコなどのメーカーの商品や、外国からのチョコレートやチューインガムなども店頭に並んでいました。ケーキも販売していたので、クリスマスともなると珍しいケーキを求め、我先にと家路を急ぐサラリーマンでいっぱいでした。
創業間もなく、事業拡大の為に母の実家であった八女からをお茶仕入れて販売する事にしました。これが茶舗いり江豊香園の始まりです。上級茶、並茶が所狭しと並べられ、白折れや玄米茶も庶民、会社の飲み物には欠かせぬ食料品でした。 お店には茶缶がずらっと並び、当時はお茶の粉を篩って袋詰めしていました。
創業間もなく、事業拡大の為に母の実家であった八女からをお茶仕入れて販売する事にしました。これが茶舗いり江豊香園の始まりです。上級茶、並茶が所狭しと並べられ、白折れや玄米茶も庶民、会社の飲み物には欠かせぬ食料品でした。 お店には茶缶がずらっと並び、当時はお茶の粉を篩って袋詰めしていました。
現在の外観
現在の内観
舞鶴いり江ビル 内部写真
賃貸住宅住宅部の内観
賃貸住宅住宅部の内観
賃貸住宅住宅部の内観
賃貸住宅住宅部の内観
賃貸住宅住宅部の内観
賃貸住宅住宅部の内観
舞鶴いり江ビル 外観写真
賃貸住宅住宅部の外観
賃貸住宅住宅部の外観